第644回のスポットライトリサーチは、東京科学大学 総合研究院 応用化学系 化学生命科学研究所 吉沢・澤田研 博士課程後期課程の橋本義久(はしもと よしひさ)さんにお願いしました。
吉沢・澤田研では、超分子化学を基盤に、水中で活用できる「芳香環空間」を研究し、生体内のような高選択な分子識別や高効率な分子変換を人工的に実現する「ナノ空間」の開発研究を推進されています。
同じ分子でも、取り囲まれている空間によって機能が変化することがあります。これを人工的に自在に操れると分子の機能を拡張する可能性が広がります。今回紹介いただけるのは、手に入りやすい材料からキラルな空間を作り、これを利用してキラル光学特性を発現させることに成功したという成果です! 本成果はJ. Am. Chem. Soc. 誌 に原著論文として公開され、東京科学大からプレスリリースもされています。
“Chiroptically Active Host–Guest Composites Using a Terpene-Based Micellar Capsule”
Yoshihisa Hashimoto, Yuya Tanaka*, Daiya Suzuki, Yoshitane Imai, and Michito Yoshizawa*
J. Am. Chem. Soc. 2024, 146, 23669–23673 DOI:10.1021/jacs.4c07193
本研究を主導された田中裕也助教より、橋本さんへのメッセージをいただいています。
橋本義久さんは常に元気で明るい好青年で、(今時珍しく?)毎朝の挨拶を欠かしません。修士課程から研究室に所属し、この春から博士課程に進学しました。今回取り上げられた成果は橋本君が筆頭著者となる2報目の論文にあたります。本研究では、合成段階において再現性に苦労しましたが、橋本君は怒涛の実験量であっという間に解決してしまいました。また研究を常に能動的に進めており、特徴の一つである熱刺激によるCotton効果の増幅挙動も橋本君の発案で見出しました。後輩の指導にも積極的で、研究室を牽引する存在として貢献しています。今後も高いコミュニケーション能力と数多くの試行錯誤から面白いサイエンスを展開してくれることを期待しています。
それでは、化学への情熱が伝わってくる橋本さんのインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
本研究では、“アキラル”な分子を我々が開発したミセルで包み込むだけで“キラル”光学特性を付与することに成功しました。
キラリティーを持たない分子でも、キラルな空間におかれることで、その立体情報が分子に伝わる現象“キラリティー転写”が起こります。そこで、一度“キラルな入れ物”を作っておき、中にアキラルな分子を放り込むだけでキラリティを付与するという研究が今までなされてきました。しかし、今まではいずれも分子チューブやケージなどの“剛直な入れ物”が多く、その内部に取り込める分子のサイズや種類に制限がありました。そこで本研究では柔軟な入れ物である“ミセル”に着目しました。ミセルは、両親媒性分子と呼ばれる、分子内に親水部位と疎水部位を併せ持つ分子をセッケンと同様の原理にて水中で集合させることで簡単に得られます。我々は、キラルなユニットとして、テルペンの一種であるメンタン骨格を組み込んだ両親媒性分子MAを合成し、水中で自己集合させることでキラルなミセル (MA)nを得ました。さらに、このMAとアキラル分子をすりつぶして水を加えることで内包体を形成し、キラルなミセルからアキラルな分子へのキラリティー転写を達成しました。このミセルは非常に高い分子内包およびキラリティー転写能力があり、現在までに青色発光を示す凝集誘起発光(AIE)性のテトラフェニルエチレン(TPE)や平面状分子のコロネン(Cor)など様々な分子をキラルにしてきました。例えば、赤色有機色素のBODIPY誘導体(DBB)を内包すると赤色の水溶液が得られ、粒径やNMR測定から14分子のMAが10分子のBODIPYを包み込んでいる構造が推定されました。さらに、内包された色素分子に由来する円二色性(CD)および円偏光発光(CPL)が観測されました。
Q2. 本研究テーマについて、思い入れがあるところを教えてください。
①両親媒性分子の合成
私は合成が大好きで有機化学の研究をしています。修士として入学して最初に扱ったテーマはすでに合成された分子や既知化合物を組み合わせたテーマだったので、早急に終わらせて”合成の”テーマを研究したい一心でした。そんな中始めた念願の合成テーマですが、やはり楽しいものでした。sp2炭素とsp3炭素をgrignard反応と根岸カップリングを駆使して繋げるという反応が鍵でしたが、当初はなかなかうまくいきませんでした。毎晩マグネシウムを活性化させて試薬をdropwiseし、翌朝真っ白に失活している溶液を眺めるという日々を送りました。何度もの試行錯誤、カラムクロマトグラフィーやGPCによる分離の末、ようやく目的の化合物を合成・単離することができました。ここまで苦労しましたが、論文では合成パートが一瞬で終わってしまい少し寂しさを感じます。しかし、最終的には当研究室で初めてとなるCPLを扱った論文として世に送り出せたので(しかも夢のJACS)とても満足です。
②両親媒性分子の設計
“キラルなミセル”を構築するための両親媒性分子の設計をする上で、疎水部分に何を導入するかが鍵でした。そもそも我々の研究室でキラルな化合物を扱うことは初めてだったので、できるだけシンプルなものにしようと思いました。そこで、ミントの香りの主成分として身近な”メントール”の骨格である“メンタン骨格”を採用しました。この骨格の優れている点は、不斉点がいくつもある点に加えて、脂肪族の骨格のため紫外光を透過してくれるという点です。CPLを実現するためにはゲスト分子による光の吸収・発光を効率的に行うことが肝であるため、このメリットは非常に大きいと考えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
CDスペクトルの再現性です。
今回の研究は、前述の方法によって内包体を作成し、そのキラリティー特性をCD測定によって明らかにすることに主題が置かれています。しかし、内包のロットによってCDスペクトルの形や強度の再現性に問題がありました。これは、いくつか理由が考えられますが最大の要因は”すりつぶしの加減”です。内包体を作成する際、合成した両親媒性分子とアキラルな分子を乳鉢と乳棒ですりつぶして水を加えるという工程があります。とんかつ屋さんでゴマをアタってソースを入れるのと同じ行為です。この工程が非常に厄介で、すりつぶす力や時間、水の入れ方によって、内包効率やCDスペクトルの出方がまちまちでした。そこで、すりつぶす量や時間の正確な固定はもちろんのこと、乳棒を当てる角度や回す方向など、普段すりつぶすという行為に対して意識していなかったことも考えて何度も何度も内包実験を行いました。その結果、論文化に十分な再現性を確保することができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
自分の関わった技術・製品で人々の生活をより豊かにすることが私の夢です。
私は高校生の時に受けた有機化学の授業で”少ない構成要素で世界のほとんどができている”と知った時に、化学に深く惹かれた感覚を今でも強く憶えています。大学では教育学部に所属しているにもかかわらず有機化学の研究を行い、気づくと博士課程まで来てしまいました。今後はここまで学んできた化学、特に有機化学を駆使して産業に携わっていきたいと考えています。私は0から1を生み出すことはあまり得意ではありませんが、1を10や100にすることはとても好きですし楽しいと感じます。将来は既存の技術・価値を組み合わせて、今より豊かな社会の実現に貢献したいと思っています(就活のESみたいになりました…)。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございました。日々の実験が論文化、プレスリリース、そしていつも読んでいるChem-Stationの記事になることをとてもとても嬉しく思います。私は現在も関連したテーマを進めており、キラルミセルの性能を大きく向上させることに成功しつつあります。近々、またこの場で発表できるよう日々精進していきたいと思います。
最後になりましたが、本研究を遂行するにあたり手厚いご指導をいただきました吉沢道人教授、田中裕也助教をはじめとした研究室のメンバーや技術職員の皆様に深く感謝申し上げます。また、このような機会をいただきましたChem-Stationスタッフの方々にも厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
関連リンク
研究者の略歴
名前:橋本 義久
所属:東京科学大学 総合研究院 吉沢・澤田研究室
専門:有機化学・超分子化学
略歴:2022年3月 東京学芸大学 教育学部 卒業
2024年3月 東京工業大学 物質理工学院 修士課程 修了
2024年4月 東京工業大学 物質理工学院 博士課程 入学
2024年10月〜 東京科学大学 物質理工学院 博士課程